焼き上がった生地をただ皿に並べるだけで満足していたころの私は、表面を彩る仕上げにまで手を伸ばす勇気をなかなか持てず、いつも無難な形で完成として片づけていました。
飾りつけは難しそうだという思い込みが先に立ち、せっかく丁寧に作った土台を地味なまま終わらせてしまった経験が、いまも小さな悔いとして心の奥にずっと残り続けています。
あの場面でひとつでも色を足していれば、囲んでいた家族の表情はもっとほころんでいたはずで、控えめに済ませてしまった自分の選択を、私はその後しばらく引きずってしまいました。
失敗を恐れて手を止めてしまうたびに、本当はこう仕上げたかったのにという思いが胸の内に静かに積もっていき、その積もり方こそが私の後悔の正体だったのだと、いまになって分かります。
けれども後悔そのものが、表現の幅をもっと深く知りたいという前向きな気持ちへと私を押し出してくれたのも確かで、立ち止まって悩んだ日々が、次の一歩を支える力になってくれました。
飾るという工程は単なる装飾ではなく、作り手の思いを色や形に乗せて相手へ届ける言葉のようなものだと、数々の悔いを経てきたいまの私は、ようやく静かに実感できるようになりました。
仕上げに挑む心の余裕が生まれてからは、たとえ思い通りにいかなくても、それを次への伸びしろとして受け止められるようになり、気持ちそのものが軽やかになっていきました。
色を選び配置を考える時間そのものが、いつしか一日のなかでもっとも心の満たされるひとときへと変わっていき、表現することの喜びをしみじみ味わえるようになりました。
色をどこに置くと全体が締まって見えるのかという感覚は、独学の手探りだけではなかなか身につかず、私は基礎から順を追ってきちんと教わる場を、自分の意思で求めるようになっていきました。
専門の学校で製菓の理屈を学んでいくと、ひと粒の果実をどこに添えるのかにも明確な理由があると分かり、飾りつけが決して感覚任せの行き当たりばったりな作業ではないと、深く納得できました。
余白を生かす配置の考え方や、高さをほんの少し変えるだけで立体感が生まれてくる工夫など、知ってみればすぐに腑に落ちる原則が、仕上げの背景にはいくつも静かに控えていたのです。
同じ素材を扱っていても、置き方ひとつで受ける印象が大きく変わり、その差を自分の手で意図して生み出せるようになったと気づいたとき、表現することの楽しさが一気に広がっていきました。
教わった原則をひとつずつ確かめながら試していくたびに、迷いながら飾っていたころには見えていなかった景色が開けてきて、手を動かすこと自体がいつしか待ち遠しく感じられるようになりました。
学びを重ねれば重ねるほどに、飾るという行いは正解を探す窮屈な作業などではなく、自分らしい一皿を自由に組み立てていく遊びなのだと、心の底からそう感じられるようになっていきました。
手を動かしながら原則の意味を体で確かめていくうちに、頭で覚えていた知識が自分の感覚と結びついていき、教わったことが本当の意味で身についていくのを感じられました。
基礎を踏まえたうえで自由に遊べるようになると、決まりに縛られるのではなく、決まりを土台にして羽ばたけるのだという感覚が、私のなかに芽生えていきました。
手元の道具をほんの少し変えてみるだけでも、絞り出す線の太さや微妙な揺らぎが思いがけない表情を持ち始め、仕上げの可能性というものがひとつずつ着実に増えていくのを感じられました。
最初はぎこちなかった手つきも、何度も繰り返し挑んでいくうちに迷いが減っていき、思い描いた形を生地の上へ素直に写し取れるようになっていったことが、私には何より嬉しい変化でした。
季節の彩りを意識して色を選ぶようになると、ひとつのお菓子が小さな景色のように見えてくるようになり、できあがったものを静かに眺める時間そのものが、心待ちにする楽しみへと変わりました。
うまくいかない日があっても、その失敗が次の配置を考えるための確かな手がかりになってくれて、挑戦を重ねた数だけ自分の引き出しが少しずつ増えていくという、確かな手応えを得ています。
以前ならすぐに諦めてしまっていた複雑な仕上げにも進んで手を伸ばせるようになり、難しさそのものを面白がって楽しめる気持ちが、いつのまにか私のなかへ自然と根づいていったのです。
飾る楽しさを知ってからというもの、完成形を頭のなかで思い描く段階からすでに心が弾むようになり、作る前の構想を巡らせる時間こそが表現の出発点なのだと、はっきり考えるようになりました。
小さな工夫を一つ加えるたびに表情の変わっていくお菓子を前にすると、まるで対話を交わしているような気持ちになり、作る時間がいっそう愛おしく思えてくるのです。
一皿を眺めながら次はどう仕上げようかと思い描く時間が増え、完成を待つあいだの胸の高鳴りまでもが、作ることの楽しみの一部になっていきました。
飾ることを避けてばかりいた過去のあの悔いは、いまの私にとっては表現の幅を大きく広げてくれる、かけがえのない原動力へと、静かにその姿を変えてくれたのだと感じています。
色や形に込めた思いが受け取る相手へまっすぐ伝わる瞬間こそ、仕上げの工夫を学んできた何よりの報いであり、もう挑戦をためらわないという確かな理由に、いまはしっかりとなっています。
基礎を順序立てて丁寧に教わる場へ身を置いたからこそ、感覚任せではない確かな手応えとともに、自分らしい一皿を迷うことなく組み立てられるように、少しずつなっていったのだと思います。
挑戦のたびに増えていった引き出しは、うまくいかなかった日々の積み重ねがあって初めて手に入った、ほかの何にも代えがたい大切な財産なのだと、いまでは心から実感しています。
これから手を動かしていく方には、迷ったときほど一歩前へ進む選択を勧めたく、そのささやかな積み重ねが必ず表現の喜びへとつながっていくのだと、自分の経験を通じて信じています。
迷いを抱えていたあのころの自分へ伝えるとしたら、恐れずにまず色を一つ足してごらんと、いまの私はためらうことなく声をかけてやりたいと思っています。
飾ることを通じて自分の思いを形にできると知ったいま、あの日の後悔は、表現の扉を開いてくれた大切なきっかけだったのだと感じています。製菓学校のことならこちら