旬の素材や時季ごとの決まりごとは、ぱっと見たところでは作り手の自由をぎゅっと縛りつける窮屈な枠のように思え、はじめは息苦しさを覚える人も、決して少なくないはずだと思います。
ところが季節というその大きな土台にいったん身を委ねてみると、その時季ならではの素材が、次から次へと表現の手がかりをこちらへ差し出してきてくれることに、はっと気づかされます。
選べる材料が限られているからこそ、その持ち味をどう引き出していくのかという一点に知恵を絞ることになり、その結果として、発想がかえって思いがけず大きく広がっていってくれるのです。
移ろいゆく季節にそっと寄り添っていくという姿勢は、何でも自由に選べてしまう状態よりもむしろ、眠っていた作り手の創意をやさしく呼び覚ます力を秘めているのだと、私は感じています。
選べる幅がもともと狭いからこそ、ひとつの素材とこれまで以上に深く向き合っていくことになり、そのまっすぐな深さが、思いもよらなかった工夫を引き出してくれるのだと知りました。
制約のなかでこそかえって磨かれていく工夫があるのだと分かったとき、季節に縛られるということは決して不自由などではなく、むしろ豊かさへの入り口なのだと、心から思えるようになりました。
枠があるからこそ、その内側で工夫を凝らそうとする気持ちが芽生え、制約と創意は決して相反するものではないのだと、私は学びのなかで知りました。
限られた素材と深く向き合うほど、その奥にある可能性が見えてきて、制約こそが工夫を呼び込むのだと実感しました。
一年という時間を通して時季ごとの素材とじっくり向き合っていく学びは、独学ではなかなか得ることの難しい巡りの感覚を、自分の体へと順序立てて教えてくれるものなのだと感じました。
製菓を学べる学校では、春の芽吹きの頃から冬の実りの季節に至るまで、季節ごとに移り変わっていく素材の扱い方を、順を追いながらひとつずつ着実に身につけていくことができます。
まったく同じ甘さであっても、暑い時季には軽やかに、寒い時季には深く温かに仕上げていくという発想の切り替えが、繰り返していくうちに、いつのまにか自然と手に染みついていきました。
巡りゆく季節に合わせて手順を変えていくという経験を一年かけて重ねていくと、目の前にある素材が最も輝く瞬間を見極めるための目が、少しずつ確かなものへと養われていってくれます。
一年の巡りをまるごと一度経験して初めて、それぞれの時季が持つ表情の違いがくっきりと見えてくるようになり、移ろっていく季節そのものへの愛着が、いっそう深まっていったのを感じます。
四季それぞれの味わいを順を追って学んできたからこそ、その時季にしか作ることのできないお菓子の尊さというものを、いまでは心の底から味わえるようになったのだと感じています。
巡る季節を一年通して味わっていくと、次に訪れる時季への期待が自然と湧いてきて、作ることそのものが一年の物語のように感じられるようになりました。
季節ごとの違いを体で覚えていくと、巡る一年そのものが学びの教科書のように感じられ、毎日の手仕事が楽しくなりました。
その時季にしか出会うことのできない素材で丁寧に仕立てた一皿には、移ろいゆく季節そのものをそっと写し取ったかのような、ほかにはない特別な趣が静かに宿ってくれるものです。
口にしてくれた人が、ほんのひと口で今この季節をふと思い浮かべてくれたそのとき、作り手としてこれ以上ないほどの喜びが、胸の奥のほうへと静かにじわじわ広がっていってくれます。
限られたほんの短い期間だけの味だからこそ、受け取ってくれる人の記憶のなかに鮮やかに刻まれ、また巡ってくる季節を待ち望むという気持ちまでも、一緒に贈ることができるのだと思います。
季節にそっと寄り添っていく作り手は、目の前にある素材の声へじっと耳を傾けながら、その一瞬にしか決して生まれることのない味わいを、ひとつずつ丁寧にすくい上げていくのです。
その時季が過ぎ去ってしまえば二度と同じ形では作れないという、はかなさそのものが、かえって一皿への愛おしさを深めてくれて、作っている時間を、何にも代えがたい特別なものにしてくれます。
今だけの味をそっと届けていくというこの営みは、移ろいゆく時間そのものを慈しむ心にほかならないのだと感じており、私はそこに、尽きることのない深い楽しさを見いだしているのです。
その時季だけの味を届けられたとき、季節を分かち合えたという温かな手応えがあり、それが次の季節へ向かう静かな励みになってくれます。
その時季だけの味を届けられた喜びは、過ぎゆく季節を分かち合えたという温かさとして、長く心に残ってくれます。
季節という枠は作り手を窮屈に縛りつけるどころか、その時季ならではの素材を通じて、思いもよらない表現の手がかりを、こちらへいくつも差し出してきてくれるものなのだと感じます。
一年を通して巡りゆく味わいを順を追って学んできたことで、私は目の前の素材が最も輝く瞬間を見極めるための目を、ほんの少しずつではあるものの、確かに養うことができました。
限られたほんの短い期間にしか作ることのできない味だからこそ、受け取る人の記憶に鮮やかに刻まれ、また巡る季節を待ち望むという楽しみまでも、贈ることができるのだと思います。
その時季が過ぎれば二度と同じ形では決して作れないというはかなさこそが、一皿への愛おしさをいっそう深めてくれて、作っている時間を特別なものにしてくれるのだと感じています。
移ろいに寄り添っていく一見の不自由さの、まさにその奥にこそ、作り手としての本当の自由と喜びが潜んでいるのだと、お菓子作りを通じて、私はいまそれを確かに感じています。
季節に寄り添う営みを重ねるほどに、移ろいゆく時間そのものをいとおしむ心が深まり、作ることが暮らしを豊かにしてくれるのを感じています。
移ろいに寄り添うことの豊かさを知ったいま、季節という枠を、私はむしろ心強い味方だと感じています。